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プロフィール
畑澤聖悟(はたさわせいご/劇作家)
1964年生まれ。「劇団北の会」「劇団漫金堂」「シアター・ル・フォコンブル」「弘前劇場」を経て、2005年、演劇プロデュースユニット「渡辺源四郎商店」を設立。ラジオドラマの脚本家という顔も持つ。 渡辺源四郎商店 98年以降、脚本家・演出家として年1~2のペースで様々な賞を受賞。 これまでのおもな受賞歴: 放送批評懇談会ギャラクシー大賞ラジオ部門最優秀賞/平成11年度日本民間放送連盟賞ラジオ娯楽番組部門最優秀賞/平成11年度文化庁芸術祭大賞/平成12年度日本民間放送連盟賞ラジオエンターテイメント部門優秀賞/平成13年度日本民間放送連盟賞ラジオ教養番組部門優秀賞/平成14年度・15年度日本民間放送連盟賞ラジオエンターテイメント部門優秀賞/日本劇作家大会2005熊本大会・短編戯曲コンクール最優秀賞/平成17年度全国高校演劇発表大会最優秀賞・文部科学大臣奨励賞・創作脚本賞 その他のジャンル
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3月29日(土)
第2回春季全国高等学校演劇研究大会2日目。とはいえ、今日は午後から別の用事があるので午前中のゲネを拝見するべく、朝早く自由劇場に出掛ける。8:30より、鹿児島高校「解体新書」のゲネ。演劇部の新入生勧誘で幕が開き、よくある演劇部モノなのかと思いきや、本筋はその4年後(3年後?)。新入部員の悪戯によって部室から火を出し、大会に参加できなかったため、推薦をもらえず、進学をあきらめた元演劇部長の事務員の物語。台詞回しも場面転換も筋運びもテレビドラマのような印象があるが、芝居そのものは少しも軽くない。俳優諸君の熱演と手堅い演出の力だと思う。因縁の旧校舎の解体と過去の呪縛からの脱出を対比させたあたりもなんとも手堅い。真面目な芝居を拝見しました!という感じである。続く宇都宮女子高校と岡山操山高校は、なぜか持ち時間に通しをやらず、仕方なく2階席でぼんやりと仕込みと場当たりを眺める。不覚にも寝入ったところに声を掛けられ、見ると川之江高校の曽我部マコト先生じゃないの。相方の越智優氏も一緒である。おおっ、と恐縮し、ご挨拶したのち少し言葉を交わすがゲネ中なので話し込むわけにもいかず、大いに残念であった。 正午過ぎ、大江戸線で両国へ。TPT『ミステリア・ブッフ』観劇。於・ベニサン・ピット。ウラジミール・マヤコフスキーなるロシアの劇作家の作で、初演は90年前とのこと。階級闘争コメディとでも呼べばいいのか。作者が 「この芝居を上演するときには、その時代によって内容を変えてもらいたい」 と書いたことが口上で述べられるが、その通りの舞台であった。初演通りの「インターナショナル」の大合唱で幕を降ろさないラストは90年の時間差を補い、2008年の終末感を見事に浮かび上がらせて秀逸。我々は有り余るモノを抱えながら永久に降り続く酸性雨の中を歩き続けるしかないんである。『隣にいても一人』で共演した小寺悠介氏を観に来たのであるが、予想以上の収穫。こういう芝居がやりたいもんである。終演後、大急ぎで自由劇場に戻り、外で並んでいる曽我部先生から関係者チケットを分けてもらい、 「わーい、川之江の関係者ぞなもし」 と、ミーハーに喜びながら入場する。ゲネを見そびれた宇都宮女子高校『自転車置き場に午後6時』観劇。自転車置き場を清掃する女子高生達の午後5時から午後6時まで。いろんな事はさておいて腑に落ちないのはメガネの子(役名忘れた)が自転車を蹴るシーンである。彼女は級友が教員と交際して妊娠した事実を学校側に密告したのだが、それは彼女自身、母親が17の時にできた子であり、男に捨てられた母親が 「バカにされたくなかったら勉強しなさい」 と、自分を机に縛り付けて来たことを強く憎んでいるからであった。だからって友達をチクっていいのかという問題はさておく。ラスト近くで、彼女は主人公の子に勧められるまま4台(5台だっけ?)の放置自転車を蹴り倒す。その後間髪を入れず、尾崎豊の「15の夜」を歌い踊る集団が登場したのだが、 「よくぞ自転車蹴り倒した」 という祝福であろう。少なくともあの文脈では間違いなくそう見える。自転車蹴倒しは母親を憎む自縛から自由になるための儀式であり、彼女の前向きな変容を示すモノとしてとして用意されていたわけである。 それでいいのか、と思う。 夜の校舎、窓ガラス壊してまわることはカッコイイのか?高校生にとっていちばん攻撃しやすい学校を、しかも誰も邪魔する者のいない夜に攻撃することは卑劣なことなんじゃないのか。割れたガラスを片付ける人やガラスを購入するための税金を切り取られた人を想像できないってことなんじゃないのか。ものすごく幼稚なことなんじゃないのか。尾崎豊が許せないのはその近視眼的なナルシズムである。負けを自覚してないことである。どうだい、俺はこんなに虐げられてこんなに悩んでるんだぜ。・・・なんか違うんじゃないの。浅いんじゃないの。 舞台の上で自転車を蹴り倒すな、と言っているのではない。グッドアイディアじゃないか。観客は驚いていた。インパクトのあるいいシーンである。演技もよかった。メガネの子(役名忘れてホントにごめんなさい)のためらいが消えて、どんどん蹴りが乱暴になっていく所なんか、素晴らしかった。ただ、彼女はその時点でまったく敗北しているのである(それを勧めた主人公の子も敗北している。彼女の敗北はラストシーンに泣くことで表現されている)。ならば、どうするべきか。この悲しみというか空虚感をちゃんと表現するのと、いきなり歌ととダンスで祝福してしまうのとでは、芝居の深みが30倍も違うのである。いい芝居だったと思うので残念でならないのである。 新居浜南高校の柳先生と物々交換する。『生徒総会06』のDVDと『たまべん』のDVD。放送コンクールの作品もおまけにつけてもらう。ああ、ホントにちゃんとゆっくり話がしたい。
by nabegen4ro
| 2008-03-29 14:27
| 演劇
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