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プロフィール
畑澤聖悟(はたさわせいご/劇作家)
1964年生まれ。「劇団北の会」「劇団漫金堂」「シアター・ル・フォコンブル」「弘前劇場」を経て、2005年、演劇プロデュースユニット「渡辺源四郎商店」を設立。ラジオドラマの脚本家という顔も持つ。 渡辺源四郎商店 98年以降、脚本家・演出家として年1~2のペースで様々な賞を受賞。 これまでのおもな受賞歴: 放送批評懇談会ギャラクシー大賞ラジオ部門最優秀賞/平成11年度日本民間放送連盟賞ラジオ娯楽番組部門最優秀賞/平成11年度文化庁芸術祭大賞/平成12年度日本民間放送連盟賞ラジオエンターテイメント部門優秀賞/平成13年度日本民間放送連盟賞ラジオ教養番組部門優秀賞/平成14年度・15年度日本民間放送連盟賞ラジオエンターテイメント部門優秀賞/日本劇作家大会2005熊本大会・短編戯曲コンクール最優秀賞/平成17年度全国高校演劇発表大会最優秀賞・文部科学大臣奨励賞・創作脚本賞 その他のジャンル
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1月5日(土)
転勤と「河童」執筆の経緯とこのあとの高校演劇との関わりについて書く。実に、今更って感じであるが、いまだによく聞かれるのでちゃんと表明しておきたいと思うのである。「河童」も一段落付いたことであるし、そういつまでも悶々としてはいられない。 4月、転勤。正直、まさか演劇部から外れるとは思わなかった。演劇部のない学校に来たわけではないのだ。 「とにかく校内事情ですから」 という説明は理解した。苦労して指導してこられた顧問の先生がいらっしゃるからである。よおおおおくわかる。しかし実のところ第2顧問にも第3顧問にもして頂けなかったことは大きなショックであった。 「今までやってきたことはなんだったんだろう」 である。批判するつもりは毛頭ない。自分は当然評価されるべきだと考えるのは傲慢であり、評価されるに足りなかったのは自分の責任である。しかし4月の歓迎会、 「みなさんもご存じの通り、演劇の指導で大変有名な先生ですが、美術部を持っていただくことになりました」 と、紹介されたのはどう受け止めればいいのか。いずれ気持ちを切り替えて職務に励むしかない。 しかし、おかげで高校演劇的には自由な立場になれたのである。このとき既に「河童」は構想5ヶ月でタイトルも決まっており、埋もれさすわけにはいかないと思っていた。青森中央高校演劇部とは春フェスのアンケートの回収やら何やらでコンタクトをとり続けており、 「じゃ、今年も書くかあ?」 で、ハナシは決まった。とはいえ、10年以上コンビを組ませていただいた里村先生が現顧問だからできたことである。深く頭を下げる。私は執筆前の河童エチュードと改稿のためのチェックと本番観劇という形でしか関われなかったのだが、芝居はめきめきと良くなっていった。 構想があってもなかなか書けないのはいつものことで地区大会はギリギリの入稿になった。部長ユウコを中心としたチームの結束もさることながら、部員の中からヒメノという優秀な演出が出て来なければ作品は完成しなかったと思う。2度の全国大会、春フェス、ソウル公演、その他数々のツアーで場数を踏みまくった役者たちは貫禄すら感じさせる演技で芝居をどんどん血肉化させていった。ユウコ、アイリ、リョウヘイ、サキ、マイナ、ヒサシ、アカネ、ミキ、ヒメノ、ミオナ、ミナミ、ユキ、サホ、あと、10人の1年生。最高のメンバーで「河童」を上演できたことを演劇の神様に感謝する。 現任校で演劇部顧問を拝命しなかったのは幸運であった。と、今は思っている。こっちも感謝である。人間万事塞翁が馬。 全国大会は本当に楽しみである。出来ることならヒメノを助けてやりたい。とはいえ現任校の美術部が美術工芸部門に出場なので、そっちが優先。高崎と桐生はそんなに離れてないらしいが、「河童」を観に行けるか。堂々と観に行けるようになればいいのに、と切に願う。 いずれにせよ若い演劇人に演劇を教えていくことは続けていきたい。今年一年の経験でそれが天職であることを自覚した。なべげんの新アトリエで中高生向けのワークショップを企画しており、長く続けていきたいと思っている。青少年の健全(?)育成のために演劇ができることは多いはずだ。地域の演劇文化振興にも貢献したい。とかなんとか言いながらぶっちゃけると、若い演劇人がめきめき成長していく姿ほど面白いモノはない。 「なんだ、道楽か?」 と言われれば、 「道楽か・・・そーかも知れんね」 と、SLAM DUNKの安西先生のように答えるしかないのである。
by nabegen4ro
| 2008-01-05 15:11
| 演劇
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