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プロフィール
畑澤聖悟(はたさわせいご/劇作家)
1964年生まれ。「劇団北の会」「劇団漫金堂」「シアター・ル・フォコンブル」「弘前劇場」を経て、2005年、演劇プロデュースユニット「渡辺源四郎商店」を設立。ラジオドラマの脚本家という顔も持つ。 渡辺源四郎商店 98年以降、脚本家・演出家として年1~2のペースで様々な賞を受賞。 これまでのおもな受賞歴: 放送批評懇談会ギャラクシー大賞ラジオ部門最優秀賞/平成11年度日本民間放送連盟賞ラジオ娯楽番組部門最優秀賞/平成11年度文化庁芸術祭大賞/平成12年度日本民間放送連盟賞ラジオエンターテイメント部門優秀賞/平成13年度日本民間放送連盟賞ラジオ教養番組部門優秀賞/平成14年度・15年度日本民間放送連盟賞ラジオエンターテイメント部門優秀賞/日本劇作家大会2005熊本大会・短編戯曲コンクール最優秀賞/平成17年度全国高校演劇発表大会最優秀賞・文部科学大臣奨励賞・創作脚本賞 その他のジャンル
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6月28日(水)
普通に出勤。夕刻よりセルフビルド作業。ビニール張り作業は予定の1/3を終了。黒の面積が次第に広くなっていく。帰宅23:00。 芸術新潮7月号の特集「ジャコメッティ~アルプス生まれの全身芸術家」がやたらに面白い。 「せめて500年でもいい。500年生きられたら、相当の進歩が出来るだろう」 すさまじい向上心と自己肯定である。北斎も似たようなことを言っていたのではなかったか。モノツクリはかくありたい。それにしてもジャコメッティ、ベケットと親交があり、『ゴドーを待ちながら』の舞台装置(石膏の樹)を作ったことは知っていたが、件の芝居の上演中、途中で帰ったのは知らなかった(笑)。 青森放送「卍の城物語」。モノガタリを進めることはやはりできそうにない。んで、前回に引き続き、蘊蓄モノでいくことにする。前回まで「武士の名前について」だったので、今回は「庶民の名前について」がいいんじゃないか。しかし、いかんせんネタが少ない。 「商人の名前にはなぜ○○右衛門が多いのか?」 「丁稚はなぜ奉公中、名前を変えるのか?」 「百姓には本当に苗字がなかったのか?」 みたいなことを並べても1本分にしかならないのである。急遽路線変更。間口を広げて「苗字について」調べることにする。 名前の他に苗字を持つ民族は世界的にはむしろ少数派であり、例えばアイスランド人には苗字がない。サダム・フセインもファトゥマ・ロバも「名前+苗字」ではなく、「名前+父親の名前」であるらしい。へーえ。「ジョンソン」とか「ベンソン」とか「ジャクソン」とかいう、「ソン」がついたファミリーネームも、同じ構造。・・・と、マクラはこんな感じ。本題に入る。苗字を発明したのはおそらく中国人であろうが、我が国においてはいわゆる「源平籐橘」が嚆矢ではないか。平安時代は藤原氏が全盛を極め、我も我もと藤原を名乗るようになったため、有力者のほとんどが藤原サンという状況となった。それに加え、京の公家社会から追い出される藤原サンが多くなり、それが京で武士になったり、地方に下ってそこに定住するようになった。腐っても鯛。都落ちしても藤原。んで彼らは自分の誇りと出自を忘れないため、地名と藤原をミックスした新しい苗字を創作したのである。加賀の藤原で「加藤」。尾張の藤原で「尾藤」。遠江の藤原で「遠藤」。近江の藤原で「近藤」と「江藤」。へーえ。・・・と、まあ、こんなカンジでめでたく4本脱稿する。 デザイナーの京さんより『背中から四十分』のチラシ案データが送られてくる。かっちょいい。
by nabegen4ro
| 2006-06-28 11:06
| 演劇
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